【こけ玉】職人になった元プロレスラーがいた、青森の奥入瀬に工房
青森県十和田市の奥入瀬渓流館で、元プロレスラーの起田高志さん(36)が「こけ玉」の工房を始めてから丸5年になる。自身を「プロモスラー(モスは英語でコケの意)」と呼ぶ起田さん。たくましい体でコケを丸め、コケをイメージしたひょうたんランプも手掛ける。奥入瀬の魅力を世界に発信したいと、米ニューヨークの日本美術展に出品するなど活動の場を広げている。【足立旬子】
起田さんは十和田市出身。大学と社会人のチームでアメリカンフットボールに取り組んだ後、プロレスラーに転身。2007年に元プロレスラーの佐々木健介さんのジムに入り、翌年プロデビューした。
こけ玉は、リンゴぐらいの大きさのコケの土台から盆栽のような小さな木が生えている観葉植物だ。ある時、ランニングの途中に花屋でこけ玉を目にした起田さんは、「まん丸のフォルム(形)で、眺めているだけで心が穏やかになった」と話す。寮の窓際に置いて、厳しい練習の合間や激しい試合の後に眺めて体や精神を癒やしていたという。
ところが、11年に試合中にけがをし、引退。失意のまま実家に戻った起田さんは、こけ玉の魅力を人々に伝えていきたいと考えたものの具体的なアイデアが浮かばなかった。そんな時、訪れた奥入瀬で、コケむした岩の上に木々が生えているのを見て、その美しさに心を打たれた。「天然のこけ玉があちこちに転がっているようだった」。
奥入瀬渓流は、太平洋側から流入する海霧のヤマセが深い渓谷に停滞し、約300種類のコケが自生する。ルーペで拡大すると、ヘビの皮の模様のようなものなど、さまざまな形をしている。
「コケはデザインの宝庫。その美しさを伝えたい」。起田さんは12年7月に工房を開き、観光客にこけ玉づくりを教えるほか、15、16年に台湾で開催された日本物産展に出展。さまざまな形のコケをモチーフにしたひょうたんランプも作り、今年6月にはニューヨークの日本美術展に出品した。コケはこけ玉を作るために育てたものを園芸店から仕入れている。
起田さんは「コケと言えば、屋久島や北八ケ岳も有名だが、行くには相当な装備をして何時間もかかる。奥入瀬は車から降りて歩いてすぐ。世界中の人たちに訪れてもらえるよう魅力を発信したい」と話している。
引用元:https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170716-00000025-mai-cul
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そこでゆっくりしたいよ。
いろんな苦労をしたと思うから
今があるのかもね
ダイヤモンドリング時代の目のケガで引退されたと記憶しています。
青森県十和田市で頑張って欲しいです。
紀田も久しぶりにみたけど、少ししぼんだかな?
それにしてもコケを育てているなんて、凄いや(^ω^)
これからも日本を代表するようなプロモスラーになって欲しい(≧∀≦)
選手生命を絶たれて、失意のうちに引退し、自暴自棄になって転落人生
などというのもあるが、この方の場合、「こけ」に救われたような形に
なったのだな。
挫折すると、「人生詰んだ」という気持ちになってしまうが、仕事も
生き方も1つしかないわけではない。「誰でもよかった」などと
いって刃物を振り回して事件を起こす人もたまに出てくるが、一呼吸
置いて自分を見つめ直す時間を持った方がよいと思う。
そういうのも写真素材サイトに登録して売れれば細かい収入としてプラスになるのではないかな
色んな活動をされているようで素敵な仕事だと思うので、多角的に稼いでいけたらいいなと思います
起田の消息がわかって、素直に嬉しい
そこに目をつけ事業としたのは正解です。
しかし、コケは生き物ですからね。量産できないし、出来栄えにも左右されるので、それを思っていても着手しなかった人も多いはず。
コケが転機になるとはね。
応援してたけどもケガして引退…。
好きな事をやっている人の表情は、いいねー!
私も好きです♡
是非、生で見てみたい。
でも辞めて正解かな、健介と離れたのなら
怪我の功名とでも言うべきだろうか。
影に堕ちて行くのではなく、光を目指すとゆう
まさに苔精神
第一人者になれるまで頑張って欲しい
こけ玉には、それ自体が「小宇宙」という感じがある。
「幽玄」「箱庭」「侘び寂び」という日本古来の
美意識とも合致する。
起田氏には頑張ってほしい。
逆に健介の所だから怪我して引退してコケ職人になったともいえるか。
最近の家はみんなコンクリ打つから見た目が悪い。
草生えてる方が見た目が悪いか?
あまり人に入ってほしくないな
見てて和む。
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